小僧がコンサルタントという職業に思うこと 〜part3〜

大事件を通して思ったここと

前回までのお話はこちらを見てください。
part1part2

インド大パッチ騒動の後、当然ながら委託元の風当たりは強くなり、管理レベルの向上を迫られ、責任者の首がとび、無意味な会議が増えた。

当事者だけでなく、確かに組織として悪い部分も多々あったとは思う。

ただ、明らかにぶん投げの社員体制や、そもそもリソースを全くかけない姿勢、そして上がらない単価、そんなくせして、、、そのようになるとは、、、幾許か小僧は理不尽というか、そのような感情も抱き始めた。

ぶっちゃけ言うと、「運用・保守って仕事もらう側の力が弱すぎる」と感じた。

振り返ると、本来の業務外にシステムの受け入れテストや、監査法人対応のドキュメント作成、帳票作成など、、、諸々スコープ外の業務を「頼みますよ〜」の一言で引き受けさせられることもあった。

末端ではあるがこのパワーバランスの悪さも転職するモチベーションになったのは間違いない。

さて、話を戻そう。

コンサルタントというと当時の小僧のイメージでいうと、「顧客からお願いを受ける立場」であり、圧倒的な知識差を背景にスマートに業務をこなすスーパースター的なイメージになっていた。

転職エージェント経由であるが、やれフェルミだの、GABだの、英語だの、、難しいものの準備が必要ですよと入れ知恵されていたからだ。

そして始まった実選考

転職エージェントのおかげもあってか数社の実選考が開始された。

まずは、4-6社くらいにエントリーし、そのうち2社はドキュメントで落ちた。

そして進んだ4社のうち、1社はGABで選考に落ちた。

そして残った3社とも対面の面接では通ったらしい。

その他、コンサルではないが某大手損害保険とパッケージソフト会社のIT部門に内定もいただいた。

いずれも年齢にしてはなかなかの年収だった。

しかし刷り込まれた「凄いコンサルタント」のイメージがいつしか憧れに変わっており、コンサルティング会社の選考を続行させた。

そしてコンサルティング会社についに内定を頂くことができた。

年収ではその他、2社に及ばないものの、上流工程も含め、様々なな経験ができそうだと考え内定を受ける事とした。

さぁ、いよいよコンサルタントになった。

次に続く

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